~明日の日本語クラスの宿題だ。思ったよりずいぶん難しかった。特にいい学生っぽい言いかたをしながら(終わりの方は全く見せかけものだ)日本のやり方をのろうのは。楽しんで。~

日本に留学にくることにはいい点が多くあるが、確かに悪い点もある。例えば、帰国するためには十万円以上が必要上、飛行機も十数時間かかる。また、去年四月において日本語を全然話せずに生活しなければならなくなり、悩みは度々のことであった。しかし日本の勉強のしかたに慣れるほど困ったことがない。

去年の四月・五月ごろはまだ気づいていなかったが、春学期の試験期間について問題がどんどん出てきた。春学期は、びっくりさせるほど簡単で、あまり予習・復習をしなくても授業は難しくならなかった。しかし試験の範囲をみて試験勉強をはじめようとした際、きわかるべきのことの半分しかわからなかった。がんばって勉強しながらよく「多分、授業にこんなことがでたとき集中しなかった、だから…」と思っていた。しかし他の学生と一緒に勉強していたとき、西洋の国々からの学生は皆同じ問題にあったことがわかった。はじめては理由がわからなかったが、長く考える必要がなかった。

日本の授業のしかたは慣れた方法と全く違う。ハンガリーは教育の中心は授業にあるが、日本は予習・復習に移る。すなわち、ハンガリーの学校では授業にでたらそれだけで教科をわかるようになり、あとはレポートなどの宿題だけが残る。それに対して、日本は授業にでても、まじめに予習しなければ、全然わからなくて極端に困難になることがよくある。その上、多くて難しい宿題によって復習もさせられる。つまり、勉強の大部分は自分でしなければならない。

教育文化の違いに過ぎないが、このように授業や学校の意味がなくなると思う。教科書やその練習問題の解答書を買い、学校に行かず、自分で勉強したら無料であるし、もっと自由であるし、勉強はしたければできる。日本の教育制度の場合は、学校はあまり有利にならない。確かに、学校の大変な圧力に慣れたら、自分はまじめに働くことができるようになり、勉強もうまくなるが、全体なぜそんな圧力を我慢すべきか。

ただし、問題の原因は文化的違いにあるということがわかれば、もともと問題にせず受け入れると、生活はもっとやさしくなる。一人は一国より簡単に考え方が変わるので、長い間外国で勉強する留学生にとって異文化の変なことを反対せずに受け入れることは重要であることがわかってきた。