色々な情報源によると、国内総生産は生活水準の単位ではなさそうである。しかし、経済力の単位で、そしてGDPがあがれば生活水準もあがるがちなので、よくそれを計るのに使われる。GDPは人々の収入ように思えるが、場合は違うのである。収入と支出は全部GDPに入ったのであるが、GDPが早くあがると給料があまりあがらないこともある。金融危機があるなら、失業もますます悪くなるし、給料があがるのもやむし、マスコミにもほかの事について何も聞けないので、人々は生活が変わらないとも何か変だと思って、悪い感じがある。
そして、給料があがれば、人々は本当に幸せになうか。よく言われた「お金は幸せにできない」の言い回しは普通になったが、Forbesによると正しそうである。言うまでもなく、成功したら、幸せになるのはもっとやさしいだろう。銀行口座の残高が増えることを楽しむ人もいるかもしれないけど、ほとんど人はお金の使いしか認めない。もし、成功できるのために仕事に精出しなければならなくて、家族と間週一回しか会わなかったら、多分価値がないと思う。それは、生産性向上があったら、開きをどこかに制限が必要だと思う。人間の寛容を増させるのは機会か耕地の生産性を強めるほど簡単である。少しずつすれば、人々は多分気づかない。「茹で蛙」と言う警句を忘れないほうがいいだろうと思う。
私はまだ経済の効果を感じない。ハンガリーでも簡素な生活をして、特別な費用がなかったし、日本でも奨学金は費用でたっぷり足りる。しかし、間接費と食べ物しか払わなくても、友達がいるので、幸せだろう。と思う。