今日も教会へ行った。来日したときからできるだけ毎週行く。ハンガリーの礼拝式と違いがよくあるが、もう慣れちゃった。その違いの一つは、三鷹教会で聖餐が故郷よりしばしば行われている。式もちょっと違って、故郷の礼拝で聖餐直前五つの懺悔の質問が聞かれているが、こここんなことがない。それなのに、俺自分に質問して、それで聖餐に参加するか決める。今日は参加しなかったで、李先生を驚かせちゃった。最後の質問は大体「主がキリストのため罪を許すことが信じるか」だ。(自分で訳したので、多分日本の公式のほうが違うが、それはぜんぜん見つけられなかった・・・)俺本当にそれは信じるかちょっと考えて内省して、そんな簡単じゃない。ほかの質問は大丈夫だと思う。(時分が罪人で、それを悔いて、他人を許して、これから罪を犯さず暮らすようにした。)しかし、自分の罪はどうなるかって長く考えて、これを書くだけで神の恵みが無限を忘れたと気づいた。(日本語でこんなこと書くのは大変難しいだよ、言葉はどこでも見つけられないので・・・)