Clojure(以降ローマ字に切り替えるのめんどいのでクロージャーと)の流行りに流されてしまった。

ラムダ計算は苦手だけど、苦手だからこそ挑戦したかった。弱みがあるの知ったら直したくなるのは性格。ジャヴァも苦手。別に言語としてどうこう以前に、この前アンドロイドアプリ作ってみてすごく苦戦したのは後味が悪い。

今これ書いて気づいたのは、そのアンドロイドの冒険に関して書いてなかった。短くまとめよう。

パソコンである聞いてるなうスクリプトと同じようなものがスマホにも欲しかった。スマホはアンドロイド。でいきなりやってみたら全然分からずイライラしながらとりあえず動くものはできたがあまりいい印象ではなかった。

今クロージャー勉強しようと、作ろうと思ったものがある。クロージャーにOrientDBを合わせておもしろいことやろうかな、と。ただやっぱいろいろと違いすぎててなんとかなるのはなるけど、いい方向にはできない。

だから真面目にチュートリアルを読み始めて、徐々に理解が深まっていくのを楽しんでるところ。そして気づいたのは、こういう経験を前にもしたことがある。何かと言うと、日本語だ。

日本語以前に勉強したのは英語とドイツ語、そしてちょこっとスペイン語。全部印欧語。母語は違うけど、子供のから英語は接していたんでそこは障壁感じなかった。

だが日本にきてじゃ日本語がんばろうってなったらなかなかハードルが高かった。苦戦したことはないが、あとからみると、当時自信満々でやってたのはクソ下手だったなと自覚がある。

それに気づいてから、あこれは勉強せずに自然にできるもんじゃない、と分かったものに関して強引におすのやめて、ちゃんと勉強するようにしてる。その自覚ができたのは上記のアンドロイドの経験を振り返ったとき。

クロージャーが今けっこう楽しくてものを作れるレベルまでたどり着くの待ってられない。日本語みたいに何年もかかることはないだろうから、いける。